地場産業の一員として、ブランドをつくる。「今治タオル」とIKEUCHI ORGANICの歩み

地場産業の一員として、ブランドをつくる。「今治タオル」とIKEUCHI ORGANICの歩み
2021.10.11

愛媛県今治市は120年間、タオルづくりの産地として、「安心・安全・高品質」なタオルを製造し、地位を確立してきた。その産地を支えてきたのは、今治タオル工業組合だ。

タオル組合には現在102社が所属し、「5秒ルール」など独自の品質基準をクリアした高品質な今治タオルを製造している。

タオル組合の一員として今治タオルの製造に取り組むのが、常に新しいものづくりを目指すIKEUCHI ORGANIC(イケウチオーガニック)だ。

伝統ある地場産業を担う一員でありながら、変革を起こす地元企業でもある同社は、どのように地場産業、そして地域ブランドと関わってきたのだろうか。

IKEUCHI ORGANIC 株式会社 代表の池内計司さんに、「今治タオルのIKEUCHI ORGANIC」としての歩みを聞いた。

PROFILE

池内計司(いけうち・けいし)
IKEUCHI ORGANIC 株式会社 代表
1949年、愛媛県今治市生まれ。代々、機織り屋をしてきた家庭に生まれる。父が創業した池内タオルに1983年に入社し、2代目代表取締役社長に就任。業界に先駆けて1999年からオーガニックコットンのタオルを開発し、自社ブランドを立ち上げた。2014年に池内タオルを「IKEUCHI ORGANIC」に社名変更。「2073年(創業120周年)までに赤ちゃんが食べられるタオルを創る」という目標を掲げ、実現のために邁進している。自社のタオルとThe Beatlesの曲には順位をつけられない。

組合の役員として地場産業の未来に向き合う

池内さんが松下電器(現パナソニック)を退職し、父親が創業した池内タオル株式会社を継いだのは1983年。

だが、その池内さんが家業を継いだ直後から、今治タオル工業組合(以下、タオル組合)の活動に時間を割いていたことはあまり知られていない。「今治に戻ってから20年間、僕はほとんど会社ではなく、タオル組合にいましたよ」と、池内さんは語る。

当時、日本には一気に海外製の安価なタオルが輸入されるようになり、国内に流通するタオルの光景は激変しようとしていた。国内のタオル産地が存続の脅威にさらされるなか、池内さんはタオル組合に加入した翌年から役員になり、組合の活動に奔走した。

「それでも最初は、今治は大丈夫って思っていたんです。今治はタオル産地のなかでも複雑なタオルをつくっていますから、海外では同じものをつくりにくいだろうと。ちょっとした自信があったんでしょうね」

しかし、今治のタオル産業にも輸入タオルの影響が及ぶのはすぐだった。「今治でしかつくれない」と考えていたタオルは、あっという間に海外産に取って代わられた。

今治に1976年には504社あったタオル関連会社が、1990年代から倒産と撤退が相次いた結果、2000年には219社にまで減少した。

「あの頃の今治は、どん底の景気でした。今治を復活できるかどうか、ではなくて、今治の沈没をどうやって止めるかを考えていました。そうでないと、自分たちも一緒に沈没してしまいますから」

地元企業と地場産業は一蓮托生

IKEUCHI ORGANICの工場内に併設されたファクトリーストアからは、タオルの織り機が見える。

地場産業は、その地域に根ざす複数の企業の分業によって成り立っている。細かな分業によって最終製品がつくられているタオル産業において、産業全体は衰退しているなかで1社だけ生き残ることは不可能だ。

「自社で最終形をつくっています、といっても、それは産地構造によって成り立っています。糸を加工するところ、糸を染めるところ。他にもまだまだたくさん。今治は本当にありとあらゆる業種が重なって、ひとつのタオルができています

タオルを織る会社の生きていける規模と、染色工場の生きていける規模と、それぞれ業種によって適正規模が違うんです。当時の今治は、産地がさらに縮小したら瓦解するセクションが出てくる状況まで来ていました。

セクションがひとつ消えたら、もう産地としては生き残れなくなる。だから、今治がタオル産地として残らないといけないんです。僕らだって、産地があるから生きていけているわけですから」

産地がなくなれば、自社もなくなる。その危機感を共有していたため、タオル組合は会社の枠組みを超え、産地全体で変革を起こそうと奮起していった。

産地として生き残るために、タオル組合が主導して2000年頃からさまざまな試みが始まった。そのひとつが、現在まで続く「​​今治タオルフェア」だ。

「当時のタオル会社は、お客様に直接販売することはほとんどやっていなくて、問屋に卸していました。でもタオルフェアではたくさんのタオル会社が出展して、世界のバイヤーを呼んだり、観光で今治に来ていたお客様にも販売したりと、新たな取り組みを試みたんです」

組合が取り組んだ活動の最たるものが、「今治タオル」のブランド化だ。2006年に経済産業省による「JAPANブランド育成支援事業」に今治タオルが採択され、佐藤可士和さんのディレクションのもと、産地・今治の共通ブランド化が始まった。

このような積み重ねが功を奏し、下がり続けてきた今治のタオル生産量が、ついに2010年を境に下げ止まった。産地ごと消えてもおかしくなかった今治が、なんとか持ち直したのだ。

企業の挑戦が地場産業の変革に与える影響

タオル組合の活動によって、今治のタオル産業は持ち直した。地場産業の趨勢に地元企業は影響を受けるが、その影響は一方向ではない。一企業の挑戦が、地場産業の変化に影響することもある。

池内さんの挑戦は今治のタオル産業にも影響をもたらしてきた。その1つが、今や社名にもなっている「オーガニック」へのシフトだ。

▶︎ イケウチとオーガニックの20年間。|IKEUCHI ORGANIC 公式note|note

事務所の前では、オーガニックコットンを育てている

1999年に池内タオルが初めてオーガニックタオルを生産したときは、今治ではまだどこも「オーガニック」という言葉を掲げていなかった。しかし、今では「今治タオル」認定製品のなかで、商品名に「オーガニック」と入る製品は150を超える。

結果が出た今でこそパイオニアとして道を切り拓いたように見えるが、伝統ある産地において新しい挑戦を始めたとき、批判などはなかったのだろうか。

「いっぱいありますよ。けど、そんなことは気にしない。気にしていたら、やっていられないですから」

地場産業において、他社から批判を受けて気にしている企業ばかりでは新しい取り組みは生まれにくくなってしまう。新しいことに取り組みにくい会社でイノベーションが生まれないように、新しいことに取り組みにくい産業は生き残りも難しい。

批判されながらも気にせずに、「すでにあるものを否定して、新しいものをつくる」とものづくりに邁進する姿勢は、池内さんの前職である松下電機での経験と、「性格が似ていると思う」という父親の姿勢から影響を受けているという。この姿勢を、池内さんはずっと貫いてきた。

よそがやったことはやらずに、新しいことをやりたい。単純に、死に物狂いなんですよね。新しさといっても、新奇性を狙うわけではありませんよ。自分たちが狙っているところへ向かうために、自分たちを新しくしていく。

そうやって未来に向かっていく姿にお客さんが共感してくれて、商品を買ってくださっているんだと思うので

タオルの紹介文は、池内さんが手書きしたもの。

こうした姿勢は、地場産業への刺激になるだけでなく、自社の味方を増やすことにもつながる。2003年9月、池内タオルが民事再生法の適用を申請した際、これまで積み重ねてきた信頼があったからこそ危機を脱することができたという。

「お客さんからは『タオルを何枚買ったら、池内タオルは助かりますか?』と言われるし、迷惑をかけた取引先からは『支えるから』と言ってもらえて。おかげで自分の気持ちをグッと高められましたね」

民事申請を機に、池内さんはタオル組合の役員を離れた。しかしタオル組合に属する1社として、IKEUCHI ORGANICは変わらず産地の未来を考えている。

「102社が違ったことをするから、今治タオルの魅力が高まるし、産地全体のレベルの高さが保たれている。そういう輝きが、もっといっぱい世に出ればいいなと僕は思いますね。むしろ、102社が輝かないと産地が持たないんですよ」

海から見た今治市街。池内さんが地元でいちばん好きな場所は、この景色が見える亀老山展望公園とのこと。「雨の日も風の日もいい。僕のパワースポットです」。

地場産業の未来のために、子どもたちにものづくりを伝える

産地の未来を盛り上げるべく、IKEUCHI ORGANICは積極的に今治の子どもたちにものづくりを伝えている。

例えば、地元の中学2年生による1週間のインターンシップの受け入れ。インターンに来た子どもたちは、自分でイラストを描いてデザイン処理をし、織ってタオルを完成させる。

「自分が考えたアイデアが具体的な物になったら、単純に嬉しいじゃないですか。それに、たった1枚のタオルでも、タンザニアやインドから届いたコットンを使っていて、今治で商品にして、また海外に出て行っている、と知るだけでも、視点が変わるでしょう。こういう経験があれば、大学を出たらまた今治に帰ってくる子もいるんじゃないかな

IKEUCHI ORGANICには、国内からIターンやUターンで今治に引っ越してきた社員がたくさんいます。それは自慢でもありますが(笑)、やっぱり今治の職人を育てたいという思いもありますね」

一方で、産地におけるものづくりの伝え方には危機感を覚えている。タオル会社でのインターンシップ希望者がたくさんいるのに、ほとんどの会社は受け入れていないそうだ。理由は、大変だから。

「今治でものづくりと言ったら、タオルか造船なんです。造船だと重機を扱っているから、中学生が気軽にインターンシップに行けないでしょう。で、タオル会社はインターンを受け入れない。ものづくりのジャンルがIKEUCHI ORGANIC以外に何があるのかといったらね、ないんです。

だからものづくりをやってみたい人はたくさんいるのに、ものづくりに触れるチャンスが全然ないんですよ。それで都会に出て行って、今治に帰ってこないパターンが非常に多い。

僕ら業界全体がもっとね、一生懸命に努力していかないといけないですよ。ものづくりの楽しさは、ものづくりの人が教えないといかんので」

このままでは、「産地」が持続しない。「今治タオル」を輝かせるべく、IKEUCHI ORGANICは率先してものづくりを伝え続ける。

「地元の小学生も見学に来るんですよ。彼らに『2073年に赤ちゃんが食べられるタオルをつくる』という目標を説明するときに、『君たちが64歳になったとき、池内が言っていることがちゃんと嘘じゃなかったかどうか見に来てね』とか話しながらね。

そしたら一昨年来てくれた子が、『僕がちゃんとつくってあげるから。代表、安心して』と言ってくれました。これはもう、嬉しくてね。やっぱりこういう未来の話こそ、伝え続けていきたいですね」

今治と尾道をつなぐ、瀬戸内しまなみ海道

IKEUCHI ORGANICの挑戦が、未来の今治に小さな火を灯そうとしている。産地・今治が、IKEUCHI ORGANICの行く末を照らす。

102社の今治タオルと、1社のIKEUCHI ORGANIC。それぞれの目指す先が異なるからこそ、1社だけで奮闘するよりもずっと大きな産地の輝きを生むのだ。

だからこそ、IKEUCHI ORGANICはこれからも、今治の地でタオルづくりを続ける。

COMPANY PROFILE

IKEUCHI ORGANIC 株式会社
1953年、池内タオルとして創業。1999年に自社ブランド「IKT」を発表し、2000年からアメリカでの販売をスタート。2002年には全米最大規模の展示会「ニューヨークホームテキスタイルショー」に出展し、Best New Product Awardを受賞した。2003年から国内では「風で織るタオル」として知られる。創業60周年を迎える2014年に合わせてナガオカケンメイ氏にブランドリニューアルを依頼し、社名も変更。

Webサイト:https://www.ikeuchi.org/

 

編集後記

IKEUCHI ORGANICの会議室と店舗に飾られていたのは、The Beatlesのアルバムジャケットをタオルで忠実に再現したタペストリーです。

Beatlesのニュースが日本で初めて流れて以来、Beatlesの大ファンである池内さんが自らメールを送り、実現したコラボレーションだといいます。

池内さんに取材後、Beatlesの特に好きなところを聞いてみたところ、こう返ってきました。

「今までと同じことを、何ひとつしていないところ。全部、歴史を変えてきていますからね」

こう聞いたとき、取材中に印象に残った池内さんの言葉と、思わず重なったのです。

「『他社のこういうものが売れているから、似たようなものをつくりましょう』なんて社員に言われたら、『だったらその会社を紹介するから転職せい』と伝えます。他がやっていることに対して違う回答をするのが、僕らの仕事じゃないですか。それが、ものづくりですから」

ものづくりに対してそこまでストイックに向き合える理由はどこにあるのだろう、と考えていました。でもBeatlesのお話を聞いて、ようやく納得できたように思います。

IKEUCHI ORGANICのものづくりは、「歴史をつくること」。

だからこそ、今までと同じことをすることも、すでに誰かがつくっている製品を真似することも、選択肢にないのだ、と。

そこまでの覚悟を持ったものづくりを、自分はできているのか。

池内さんとIKEUCHI ORGANICに見せてもらったものづくりの姿勢を思い出すたびに、これからも自分に問い続けていく予感がします。